虚に身を預けたその先の話
山形市のとある百貨店が破産、全従業員180名が解雇というニュースを見た。
ニュースによると、従業員たちはギリギリまで破産の事実を知らず、不安や怒り失望を口にしているという。
失職した方々には気の毒に思う。
だが、もう一方で破産した百貨店も気の毒だ。
と、思う。
何故このニュースに気を止めたかというと、理由は2つある。
1つは、私が経営者だから「破産」の文字に敏感だからということ。
もう1つは、10年ほど前の体験によるものだ。
とある倒産した会社の元従業員数名と話をする機会があった。
何故経営危機の事実を社長はギリギリまで隠していたのか、ゴミのように捨てられた。
と彼らは一様に倒産した会社に対する怒りと不満を口にしていた。
自分たちの正当性と気の毒な境遇を理解して欲しかったのだろう。
しかし、私は彼らを擁護する気持ちにはなれなかった。
何故なら、会社は社長だけで経営できないのと同様に、社長だけで倒産はしないことを知ってるからだ。
自分の不運不幸を会社を倒産させた社長のせいにしたがる元従業員の言い草に違和感を覚えたものだ。
ちなみにギリギリまで破産を伝えなかったのは、社長が最期まで会社存続を諦めなかった可能性だってある。もし、まだ大逆転のチャンスが残っているなら不用意に社員には言えないはずだ。言えば、不用意に経営危機の情報が漏れ、かえって挽回の機会を逃す可能性もある。
その倒産を経験した元社員の浅墓さだけが心に残り、倒産の理由が彼らにも見えた気がした。
そして、今回の山形の百貨店だ。
虚に身を預けた挙句に不安はまあ良い。誰だって不安だよ。失望もするだろう。でも、せめて身を委ねた先を怒るな、と思う。
今ある事実は自分がしてきたことの結果でしかないのだから。