SAFSバンノ

仕事しないで遊びたいボクのブログ

東村山音頭〜覚悟と決意と行動力、鈍感力と楽しむ力、そして、情熱

何が凄いかっていうと、ほぼ日本全国の人が東村山なんて関わったことがないし、都道府県の何処にあるのかすら知らないのに、あの歌?音頭?は知ってるってこと。

全国区のタレントだったとしても、それが彼の生まれ故郷だったとしても、日本の本当に小さな自治体の名前を使って面白いことをして、最後には日本全国民知っている何かに仕立て上げる凄さったらないなぁと思うわけ。

やり抜く覚悟と決意と行動力、

えー!?そんなの無理でしょ?という外野を無視する鈍感力、

なんでもどんなときでも楽しめる力と情熱の維持、

そんなところなんだと思う。

志村けんさんは偉大でした。

最近はとんと観ませんでしたが、知らぬ間に子供たちが「バカ殿」で大爆笑していたみたい。

世代超え過ぎだろ!

何でこんなに悲しいんだろうと思うくらい、まるで大事な知り合いが亡くなったみたいに胸に穴が空いた感覚。

ご冥福をお祈りします。

ダブルスタンダードな公正性に「?」とならない

Politically Correctness

直訳すると「政治的、社会的な公正性」って感じかな。

政治家の判断という意味ではないよ?

一般的に人々が、どんな風に言動を取り、世論とどう同調するかみたいなことになってる気がする。

つまり、世論が良しとすることが正しく、悪しとすれば間違いということ。

コロナウイルスで、子供の学校で卒業式の開催が危ぶまれたわけだけど、どうやら制限付きで行われているみたいだね。

でもさ、

子供は出席して親が出ない?

それだったらオッケーなの?

イギリスなんか、家から出るな!って言ってるよ?

同じコロナウイルスに対してダブル、トリプルのスタンダードが存在してるよね?

要するにさ、誰も本当の正解を知りもしないのに、世論の「かくあるべき」に従った結果、よくわからないルールが生まれる。

普段、体制にギャーギャー文句を言うような人たちも結局「Politically Correctness」に従ってる。

違和感は、なんで「ん?」「なんかおかしくね?」ってならないこと。

勘違いしないでほしいのは、「Politically Correctness」がダメって言ってるわけじゃないってこと。

疑問には思っていいんじゃない?と思うだけ。

押しつけ情報に注意だぞ

こういう、閉塞感漂う世の中になると、色んなことに異を唱える人がやたらと出てきて、正直ウッザ!と思うんだけど、本日わたしがそれになります。

 

いつも思うんだけど、テレビとかで専門家の意見ってなんなの?

ん?ちょっと違うな。

専門家の意見で結論とする、みたいな感じどうなの?が近いかな。

冷静に考えて欲しい。

世界初の研究し尽くされていない病気の対処法なんだよね?

専門家って言っても過去の豊富な経験則で言えることを言ってるにすぎない。

あーした方がいい、こうした方がいい。

おそらく合ってるんだろうと思うよ?

専門家さんたちはプロだから、未知のものも積み重ねた過去のデータから推測すれば、素人の浅知恵よりは恐らくよっぽど役に立つ。

なので、わたしたちが専門家さんたちの意見を聞きたいと願っている以上は、彼らに罪は全くないよね。

モヤっとする理由は、彼らが言ってたことを無条件に信じて、ヒステリーに違う意見を排除しようとする独裁者気質の輩が多いから。

こんな数ヶ月でも、客観的データは、積み上がりつつあるんだけどね。

何故、客観データで話をしないの?と思う。

客観データを見てから、何にどれほど恐れなければいけないか、どう対処すべきかを考えれば良い。

とりあえず専門家の意見でがんじがらめにして、素人に判断させない風潮はフェアじゃないなぁとおもうんだよ。

客観と主観の往来をさせない雰囲気は、ホント不自由感じちゃう。

ネットやその他メディアからの情報も客観データは少ないんだよね。意外と探せない。

なんでこうなるんだと思う?

客観データって集めるの大変だから。時間かかるから。

専門家を引っ張り出して、あなたの意見もしくは過去に言われていたことよりこっちの方が信憑性ありますよね!?ってやった方が楽ちんだから。

で、それでも、そう情報発信する方はいいと思う。一つの選択肢としてあっていいと思うから。

問題は、受け取る側の選択肢はもっとあったはずだと考えない(考えさせない)風潮かな。

発信側は、右にも左にも振らずに情報を出し、さて、あなたはどちらに自分を振りますか?と投げてみるってやるのが本物だと思うんだけど、どうかね?

 

下は客観データの例。

英語ですまん。

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頭と心の関係についてのメモ

頭と心の関係についてのメモ。

頭は心を支配しようとする。

頭は、過去と未来を考えて、今何をすべきか、何をしなければならないかを心に伝えて強制する。

一方で、心は今を捉えて、何をしたいか、何が好きか、何が嫌いかを感じている。頭にそれを伝えようとするが強制はしない。

つまり、例えば、

過去の学習と経験から、学生が未来のために今勉強しなければならない、すべきだ、と頭が思う。しかし、心は、友達に会って遊びたい、と感じてる。

頭は、心の声を押さえつけようとする。遊ぶのはダメだ。我慢して勉強することが今すべきこと、正義だと抑圧する。

心は、我慢する。友達に会いたい気持ちを胸に秘めたまま。

心の肩身は狭くなり萎縮し自己否定を始める。

頭は、益々自身を正当化して強くなる。

そして、ある日、心が反乱を起こす。

もう頭の言うことは聞けない。

自由になりたい。

それが鬱なのだそうだ。

鬱を治すには、心の声を大事にしなければならない。

心が頭の言うことはもう聞けないと言っているのだ。

愛の大富豪ですがなにか?

束縛する人が嫌なので恋人を作るのをためらってしまう。という話を聞いたことがあるのだけど、いまいちピンとこない。

とはいえ、相手がそこまでウザいほど束縛するかどうかをお付き合いする前から知るのは至難の業だと思う。ただ、そうなってしまうと骨が折れるから二の足を踏むというのはわからないでもない。

付き合ってみたら思ったよりも心地良くて、なんなら束縛さえも心地良く感じる相性ぴったりな相手なのかもしれないが、それも付き合ってみないとわからない。

自分の時間を制限されて窮屈になるのが本当に嫌、と言う。

きっと正しい。

でもね、そんな人の話を聞いて、まるで、大富豪を横目で見ながらお金なんて無くても十分幸せ!と言っている貧乏人の姿を連想してしまったが、きっとそれとは違う!と否定されるのだろう。笑

愛していても心配しない道もあると知る父親道

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20歳になった長女に8年前の長女から手紙がきた。
読ませてもらった。
当時頑張ってた夢が儚く散っていたり、今でも変わらず続けていたりがわかる内容。
サークルの活動やら友達の家に泊まりに行ったり、彼氏ができたこともあったかな?
そんなこんなで、もうあまり家で会うことも少なくなったけど、驚くほど意外に心配してない。というか、信用している。
子供は育てたようにしかそだたないからね。
ただ、この8年で彼女の父も当時感じていなかった老いを感じていて(まもなく誕生から半世紀!)、時だけはしっかり過ぎているよ。